波佐見町南東端部の永尾集落の南側に位置する明治期操業の階段状連房式登窯である。
昭和10(1935)年の改修まで焚き起こしの「胴木間」と4つの窯室の計5室からなっていた。主に日用食器・割烹食器・壺が生産されていたが、概して優れた作品が多く、昭和天皇への献上品もこの窯で生産されている。昭和27(1952)年に廃窯を迎え、昭和30(1955)年に「胴木間」と次の窯室が取り壊され、現在は3室が現存している。
江戸期以来の登窯構造を有した3室の窯室が、天井部まで完全に現存しており、このような保存状態が良好な登窯は県内では例がなく、国内の窯業史においても、たいへん貴重な遺産である。
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